2018年 05月 26日
「みさき感激!」の日
メールやSNSでもたくさんのお祝いメッセージを
ありがとうございました(#^.^#)
今朝は早くからのお出かけ。
予約してあったレストランをキャンセルしての・・
母を含め相談してみた誰もが勧める場所。
三重県から妹や姪っ子と共に
向かった先は青山。
10代半ば、その人の存在があり
私は「その人が住む東京の空で同じ空気を味わいたい」
そんな気持ちから進学校に進み、大学とやらに行けば
田舎娘も東京に行ける!!
そんなモチベーションを与えてくれた人。
そして、いつか会うことができたらと夢見て、
私の将来の「進路」まで方向づけてくれた人。
10代の多感な時期に"パッション"を与えてくれた
その人が先日 63歳の若さでこの世を去った。
それを知った日にもブログで何かを
綴りたい気持ちはあったけど
陳腐なものになる気がして・・。
ただね、これは自分の「日記」だから・・。
告別式の日程がナント自分のバースデー。
しかも天気予報は31度。
実は正直 参列するか迷っていた。
そもそも その時点では一般参列の受付があるかどうかも
公表されておらず・・
ただ自分の体力を信じて~~
青山。7時過ぎ。
すがすがしい風の中、炎天下でもないお天気も味方してくれて、
今日なら長丁場も覚悟できる!
地方からのお通夜→告別式組のコアなファンと共に
白いカーネーションの献花。
22曲のHIDEKIのメドレーが流れる中
その曲に合わせた自分の「歴史」が
鮮明に記憶の中に現れ、
歌詞はスラスラ、何度も聴き返したメロディに乗る。
そんなヒットメドレーを聴きながら
私の「夢」が実現できたことに感謝の気持ちがあふれた。
10代半ば、
「西城秀樹と会うためにマスコミで仕事がしたい」
そんな憧れの人に公私を含め、3度 お話する機会に恵まれた。
彼が亡くなってからの報道で皆さんが語られるように
西城秀樹さんの素晴らしいお人柄に惚れ惚れしたのを思い出す。
歌唱力&ルックスも抜群。
そんなトップアイドルだから、
横柄になってしまうのもその当時の芸能界の風潮でもあった。
それでも彼は気遣いの人であり
3度とも笑顔で優しく接してくださる、
一言一句を思い出せるほど好印象あふれるアーティストだった。
13時。
朝早く出かけたおかげで出棺までお見送りができた。
「青春に賭けよう」♪を皆で合唱したあとは
「ブルー スカイ ブルー」♪
~~ 青空よ 心を伝えてよ~
悲しみはあまりも大きい
青空よ 遠い人に伝えて
”さよなら”と ~~
ファンの涙声が青山の斎場にこだまする。
才能豊かなアーティスト、
私の青春の憧れのスターに
お別れができて本当に良かった。
万感こみあげる中、
HIDEKIが私に言ってくださった言葉の中で
一番印象深い言葉を思い出した。
その当時、まだ私の名前はかなり珍しい名前だったので
私の名刺を見て
「みさきさん? ペンネームですか?
素敵なお名前ですね」
「社交辞令的」なものだとは思うけど
屈託ない笑顔で彼が私に言ってくださったエピソードは
私の「持ちネタ」でもある。
両親が私に最初にプレゼントしてくれた最高のプレゼント、
「みさき」という名前。
私が〇〇年前に生まれた日。
両親があれこれ考えつけてくれた名前。
そんなことに改めて感謝の気持ちを感じ・・。
そんな特別な誕生日の日に
私に影響を与えてくれた芸能人、
西城秀樹さんとのリアルなお別れの場に立ち会えた。
そこに駆け付けることができた"年齢より元気な私”のことを
両親が喜んでくれた。
自分の誕生日は、これから何回もくるけど
尊敬する人とのお別れは一生に一度!
HIDEKI!
本当にありがとう!!
「ええ 誕生日になったなあ~」
遠く離れた母の言葉も嬉しかった。